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戸籍をさらに深く読み込む

家系図作成代行センターでは、現地調査のノウハウを生かし「戸籍調査」をご依頼いただいた方全員にご先祖様の暮らしを読み解いた「家系解明報告書」をお付けしております。

「家系解明報告書」…ご先祖様の職業・暮らし・家系・家紋を読み解く(A4サイズ1~2枚)

「家系解明報告書」

「家系解明報告書」は一番古い除籍謄本より判明したご先祖様の「お住まいだった土地」「苗字」「名前」などから、「職業」「暮らし」「家紋」「家系」「戸籍以上の調査方針」をまとたものです。

では具体的に戸籍をどう読み解いていくのかについてお伝えいたします。

家系図作成代行センター代表渡辺宗貴の「家系解明報告書」作成例

【 地名からわかること 】

渡辺家の戸籍(除籍謄本)で調べられる一番古いご先祖様は北海道上磯町(現北斗町)の茂辺地(もへじ)というところに住んでいたようです。

かなり早い時期に北海道渡ったようで戸籍からは本州のどこから来たか確定できません。

北海道は明治期に本州からたくさんの人が入植しています。

ですがこの茂辺地は本州に近い函館方面にある村で、江戸期から本州の人が移り住んでいる北海道では歴史の古い村です。

北海道の人の家系調査では本州の本籍地を確定させるのは重要なので、さかのぼるのが割りと困難なケースです。

ですが、茂辺地について少し調べると少しずつですが暮らしぶりが想像できてきます。

現在の北斗市茂辺地です。道南に位置し、江戸時代から開けていた地域です。住民は江戸から明治にかけて漁業や農業で生活しており、安政2年(1855)の「松前記行」には「富有のものもまま見へたり」とありますから、豊かな村だったようです。明治4年(1871)には戸数が143軒あり、人口も810人もいました。渡辺家がいつから茂辺地に住んでいたかは分かりませんが、江戸時代には移り住んでいたのでしょう。

【 戸籍から作成した家系図からわかること 】

これは、戸籍から作成した渡辺家の家系図です。

※戸籍に載っている人物を全て記載した親族図です。
※個人情報保護のため一部人物名は替えてあります。

家系図作成代行センター代表渡辺より5代上のご先祖様まで判明しています。

戸籍からだけでも十分に立派な家系図は作れますが、家系図を作るだけではなくさらに読み解けることもあります。

渡辺家のご先祖様は「莊」という字を何代にも渡って受継がせています

武士(士族)の世界では「通し字」といってよく行われていました。

ですが、住んでいた地より渡辺家は武士ではありません。

実はもう一つ武士ではないことが読み取れる箇所があります。

戸籍から判明する初代が荘兵衛、二代も荘兵衛。

子供に改名させ荘兵衛の名を受け継がせています。

このように名前を丸ごと受継ぐということは武士にはなかった傾向なので士族じゃない事は間違いないと思われます。

通し字は武士に限らず、ある程度自分の家に誇りを持つ農民(庶民)にもみられた傾向です

もしかしたら村の中ではやや大きな農家だったかもしれません

長男の荘吉にも父祖ゆかりの「荘」文字が使われています。先祖代々、同じ一文字を名前に使い続ける習慣を「通し字」といい、足利家の「義」や織田家の「信」など武士の世界では広く行われていました。これにより当家も武士と同じくらい家に強い誇りを持っていたことが分かります。
明治9年に養父から家督を継いだ平次郎は、荘兵衛と改名しました。養父の名前を襲名したのです。父の名前を子供が襲名するのは家系に誇りを感じている証拠です。茂辺地には曹洞宗竜洞山宝樹庵というお寺があります。養父の荘兵衛はこのお寺に葬られたのかも知れません。

【 戸籍よりさかのぼるための調査方針 】

渡辺家は戸籍調査では本州の本籍地は特定できませんでした。

ですが、戸籍に記載の人物を詳しく読み解けば推測できることもあります。

戸籍と戸籍から作成した家系図をよく見ると

・二代荘兵衛(平次郎)の嫁さんが秋田の出身で旧姓が同じく「渡邉」で本籍地が秋田県の脇本
・二代荘兵衛の長男が秋田県の脇本より養女を迎えている

秋田県の脇本という地との繋がりが見えます。

渡辺家が秋田の脇本から北海道へやってきた可能性はかなり高いです。

また、脇本が渡辺家の元の本籍地だとすると、嫁さんや養子を迎えていることから、今だ脇本とのつながりが深い、すなわち脇本から北海道に移り住んでからさほど年月がたっていなのではないか?ということが読み取れます。

脇本という土地についても調べます。

秋田藩の領地、武士は住んでいない、半農半漁、大きな村…ここからも暮らしぶりがイメージできます。

現在の秋田県男鹿市脇本です。その地の加藤平助の二男が嘉永元年(1848)渡辺荘兵衛の養子となりました。2009年の電話帳によれば脇本に加藤家は83軒もいます。多すぎるので二代目荘兵衛の兄の子孫を探すのは困難でしょう。脇本村は戦国時代、安東氏の本拠地で江戸時代は秋田藩の領地でした。かなり大きな村で住民たちは半農半漁で暮らしていました。江戸時代、武士が住んでいた土地ではありませんので、加藤家は庶民だったと思われますが、戦国時代は脇本城主安東氏の家臣だったかも知れません。
妻のマサも脇本村から嫁いでいます。しかも父親は渡辺藤右エ門という人物です。この渡辺家は当家と関係があると思われます。当家も出身地は脇本村ではないでしょうか。もし、そうだとすれば出身地から養子や嫁を迎えていることから、当家と脇本村の交流は続いており、茂辺地へ渡ってからあまり代数を経ていないのだろうと思われます。先代荘兵衛のときに茂辺地へ渡ったのかも知れません。2009年の電話帳によると、脇本には2軒の渡辺家が住んでいます。渡辺という苗字の場合、渡邊や渡邉と書く家も一族である可能性がありますが、脇本にそれらの家はありません。

戸籍を超えた家系調査を実際行う場合の調査方針が少しずつですが見えてきます。

茂辺地の親族や菩提寺・墓石の調査はもちろん行うが、過去帳には分家後の記録しか残っていないことが多いので北海道に渡ってからの記録までしかさかのぼれない可能性が高い。

北海道に渡ったのは江戸の中期から後期、おそらく後期と思われるので茂辺地を調査してもさかのぼれるのは0~3代ほどと思われる。

脇本に本家があると推測されることから、さらにさかのぼるには脇本の親戚筋へのコンタクトが必要。

脇本の郷土史はもちろん、秋田藩の領地であったことから秋田藩の記録も調べる。


【 人間関係より暮らしを読み解く 】

二男の佐市は明治11年に失踪しています。当時は戸主の許諾なく本籍地を離れると失踪とみなされましたから、佐市は戸主である父荘兵衛と折り合いが悪かったのかも知れません。そのためか復籍後、茂辺地の丸山家へ養子に出されています。2009年の電話帳によると茂辺地に丸山家は12軒います。

戸籍をみると失踪という記載が良く見られます。

これは旧民法の規定です。

さらに復籍後即養子に出されているから、もしかしたら戸主との関係が悪かったのかもしれません。

失踪についてですが、歴史の知識と絡めると別のことが読み取れる場合もあります。

よくあるのが徴兵制度との絡みです。

徴兵逃れに失踪するということは当時よくあったことです。

徴兵検査の記録と合わせ見れば失踪の理由はおそらく徴兵逃れであろうなどと読み取れる場合も多いです。

養子縁組についても旧民法や歴史の知識と合わせ見れば読み解けることがあります。

戸主は徴兵に行かなくてもいい場合がありました。

子供を徴兵に出したくない場合、養子に出して戸主にさせるということがよくありました。

他にも人間関係から読み取れることは多々あります。

二代荘兵衛の長男は健在である弟に家督を譲らず、なぜか養子の女性に家督相続させています。

長男に子供はいなかったのですが、弟に家督を譲るのが自然です。

あるいは弟の子を養子にとって家督相続させるのが普通です。

他所から養女を取って家督を譲るのは通常ではなかなか見られないケースです。

なにか兄弟間の確執があったのかもしれません

家督を譲るということは財産もすべて譲るということです

どうしても養女に財産を譲りたかった事情があるのかもしれません。

さらに長男は家督相続どころか弟の分家も許さなかったらしく弟が分家できたのは50歳を過ぎてからのようです。

※昔は「戸主権」というのがあり戸主の許可なしに分家できませんでした。

この時代は人生50年と言われていました。

50歳になるまで分家を許さないということは通常ではなかなか見られないケースです。

ここからもなんらかの確執がうかがえます

上記はあくまでも可能性の想像です。自分の家系だからここまで読み解いています。

お客様の家系については「確執が予測される」等については「家系解明報告書」に記載しません。

聞かれれば「こういうケースも推測できます」とお伝えはします。


【 関わりある人物も重要 】

上記の家督を譲られた養女の父親は千葉弥作、本籍地は青森県南津軽郡黒石町

苗字・名前と住んでいた場所より武士の可能性がややあります。

北海道茂辺地の渡辺家がなぜ青森の千葉家とかかわりをもったのか?

渡辺家が秋田にいた時代にすでに隣の県青森の千葉家と関わりがあったことも想像できますが、この可能性は非常に低いです。

秋田と青森では藩が違います。

当時は藩が違うとまず交流はありませんでした。

もう一つ考えられるのが、青森の千葉家が北海道に出稼ぎに来ていたことです。

当時は青森から南津軽へ出稼ぎに来ていたケースが多いです。

あるいは北前船で本州と北海道を行き来していた商人の紹介か。

また、二代荘兵衛の長男は秋田から嫁さんを迎えています。

この嫁さんの甥っ子の名が斎藤利成、本籍地は秋田県の能代御指南町

代御指南町は武士と町民が半々で暮らしていた町です。

斎藤という苗字、利成という名前より斎藤家は間違いなく武士です。

武士・士族・侍

士族である斎藤家とは秋田時代より関わりがあったのでしょうか?

あるいは、当時の北海道と本州の人間の婚姻は誰かの仲介によるケースも多々ありました。

いずれにせよ庶民である渡辺家が武士の家と関わりがあったということは先に通し字より予測した「やや大きな農家だったかも」という可能性を少し補足します。

荘吉の妻となったキノは「秋田県山本郡能代港町字御指南町一番地 斎藤利成伯母」とあります。御指南町は現在の能代市御指南町のことで江戸時代には秋田藩の下級の武士が住んでいました。この斎藤利成という人物は武士です。二人はどのように出会ったのでしょうか。誰かが仲介しキノは嫁ぐとき、初めて北海道へ渡ったのかも知れません。キノは明治36年に荘吉と離縁しました。

戸籍調査とは家系図を作るだけではありません。

深く読み解くことでご先祖様の暮らしを想像することができます。

また、家系図の作成とはさかのぼることだけがすべてではありません。

戸籍でわかる一番古いご先祖様は幕末~明治・大正期を生きた方たちです。

三~五代前の近いご先祖様を想うことも感慨深いものです。


【 そもそもの家系は? 】

戸籍を読み解くだけではなく「家系」「苗字」「家紋」の知識より、「そもそも自分はどういう家系につながるのか?」という1000年以上前の天皇家から下ってくる系図についても特定・推測出来ます。

【家系のヒント】

全国の渡辺家の多くは第52代嵯峨天皇(786-842)の流れをくむ渡辺綱の子孫だといわれています。すなわち嵯峨天皇の皇子融(とおる)が臣籍に降下して源融と名乗り、その子孫の綱が現在の大阪市にあった渡辺という場所に住み着いて、渡辺綱と称しました。これが渡辺という苗字の始まりです。綱は平安時代、源頼光に仕えて四天王の第一に数えられ、酒呑童子を退治したり、一条戻り橋で老婆に化けた鬼の腕を斬りおとしたりと、大いに武名を高めました。その子孫たちは渡辺党と呼ばれ、「渡辺星(三つ星に一文字)」という家紋を愛用し、全国各地に移動しました。秋田県にも住み着き、戦国時代に脇本を支配していた安東氏の家臣にも渡辺喜兵衛や渡辺五郎兵衛などがいます。安東氏が現在の秋田市へ本拠を移し、秋田氏と改名したとき、同行せず、地元脇本で帰農した家系かも知れません。いずれにしても当家のご先祖は明治以前に北海道へ渡った冒険心にあふれる人物でした。

そもそもの家系の流れを把握することは戸籍以上の調査方針を立てる上で重要です。

・第52代嵯峨天皇が1200年前
  ↑
 この間の約200年間の系図は文献により入手できる
  ↓
・渡辺綱が1000年前
  ↑
 この間約800年間の空白
  ↓
・戸籍から判明した渡辺家は約180年前

渡辺綱の子孫は全国に広がっているので、渡辺家がどの家系の流れに乗り上げるのか?

800年間の空白を完全に埋めるのは難しいですが、渡辺綱から現代へ下ってくる流れと渡辺家が180年以上さかのぼる調査を同時に進めることが必要になります。

渡辺の苗字は全国でも5位と非常に多くその分度の家系の流れにつながるのか難しいですが、苗字によっては1つの流れしかないケースもあります。

例】○○家のケース

・藤原鎌足1400年前
  ↑
 この間の約950年間の系図は文献により入手できる
  ↓
・○○城城主○○が450年前
  ↑
 この間約250年間の空白
  ↓
・戸籍から判明した○○家は約180年前

古代(1000年以上前)から戦国時代(400~600年前)までの家系の流れが一つしかないケースです。

苗字によってはこういうケースもありえます。

この場合、250年の空白が過去帳や江戸時代の系図で埋められることもあります。

完全に埋められず数代の空白ができたとしても1000年以上前からのほぼ完全な家系の流れを把握できる可能性があります。

このように家系の流れを把握することは戸籍以上の調査方針を立てる上で重要なのですが、戸籍以上の調査に進まずとも、学生時代に歴史で習ったような人物と遠い昔につながっていたということを想像するだけでも楽しいです。


札幌の家系図作成代行センター

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