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戸籍を読み込み家系を解明

家系図作成代行センターでは「戸籍調査」だけではなく200~1000年以上前のご先祖様をたどる「戸籍を超えた家系調査(現地調査)」を承ることも可能です。

すなわち一番古い戸籍(除籍謄本)から、さらにご先祖様をたどるサービスです。

【「戸籍調査」をご依頼いただいた方には必ず「家系解明報告書」をお付けします】

今ご依頼いただいているお客様に、戸籍を超えた家系調査のアドバイス「家系解明報告書」を無料でお付けしています。

「お住まいだった土地」「苗字」「名前」などから、「職業」「暮らし」「家紋」「家系」「戸籍以上の調査方針」をまとめます。

当事務所は全国の家系図に関するほとんどの情報を独自に把握しています。

※例えば、明治期に北海道に渡ってきた侍(4000人の名簿)などを独自に把握しています。

【「戸籍を超えた家系調査(現地調査)」に「戸籍調査」は必須】

「戸籍調査」の結果、実際に「戸籍を超えた家系調査(現地調査)」に進まれるかどうかはともかく、現地調査のノウハウを持って戸籍(除籍謄本)を読み解くと家系図を作るだけではなく様々なことが読み取れます。

戸籍から読み取れることは家系図を組むことだけではありません。

具体的に一番重要なのは、江戸末期~明治初期にご先祖様が暮らしていた本籍地を知ることです。

ご先祖様の苗字(名字)と本籍地より、「どのような暮らしをしていたのか?」「さかのぼればどのような家系につながるのか?」が読み取れます。

戸籍(除籍謄本)から作成する「家系解明報告書」は「戸籍を超えた家系調査(現地調査)」への道標でもあります。

【1000年さかのぼることと、明治・大正期の近いご先祖様の暮らし。どちらに興味があるか?】

当事務所では、家系をさかのぼれる限りさかのぼることが全てとは考えておりません。

家系図作成の最終目的である「天皇家までさかのぼること」にご関心のある方ももちろん多いですが、「幕末・明治・大正期。3~5代前の近いご先祖様の暮らし」にご関心を持たれる方も非常に多いです。

現に当事務所独自のアンケート調査では「さかのぼることよりも近いご先祖様の暮らしを知りたい」という方が6割以上という結果も出ています。

【余談ですが…】

当事務所ではむやみにさかのぼる調査をお勧めするようなことはしていません。

戸籍(除籍謄本)から判明した近いご先祖様のことを想うことも、さかのぼることに劣らず素晴らしいことだと考えております。

2009年12月より一部のお客様に「家系解明報告書」お付けしておりますが、既に地元北海道のニュース番組で特集が組まれました。

2009年12月18日 HTB北海道テレビ「イチオシ!」出演

家系図作成代行センターは4割くらいが女性のお客様です。

30代~40代のお若い方も多い。

友人・かあちゃん・親戚から「テレビ出たのは偉い。頑張ってるのはわかった…が、取りあえず髪切れ」と言われまくりました^^

金田一少年をイメージしたのですが…評判悪い。

戸籍の取り方を簡単に説明。

ホントはこれだけで2時間くらいの番組にして欲しい(2時間でも足りないかな?)。

「ウチラ行政書士に頼む前に自分でやる事も検討して欲しい。ご先祖様喜ぶ」

ディレクターさんに是非ここは入れて欲しいとお伝えしました。

それでも「忙しくて…」「戸籍読むの大変」とか困ったときにウチラに頼んで下さい。

完成した家系図をお客様ご夫婦にお渡しする場面。

今までだったらお渡しして戸籍の読み方を簡単にご説明するしか出来ませんでしたが、これからは新サービス「家系解明報告書」をお付けできます。

※「家系解明報告書」とは戸籍調査の結果よりご先祖様の「暮らし」「家系」「家紋」を読み解くサービスです。

お客様(女性)の名字は名嶋(旧姓)様。

2代上のおじい様のお名前までしかご存じなく、どこから北海道に来たかも特に聞いていなかったそうです。

まずは父方5代上、母方7代上まで戸籍でさかのぼれました。

ここからが戸籍を超えた家系調査のアドバイスです。

・福岡から北海道の士別にいらしたこと。

・「名嶋」という名字の発祥はほぼ京都か福岡。

・福岡には「名嶋」という地名があり本籍地から考えてまずここが名字の発祥の地と考えられる。

・地形より山間で農業を営んでいたと推測される。

・この地には戦国時代に「名嶋城」というお城があり立花という有力な一族が城主であったこと。

・名嶋家は元々この地で暮らしていたか、あるいは立花家と繋がりがある可能性も考えられる。

※「戸籍を超えた家系図(現地調査)」の調査方針

さらに推測すると、名嶋家は「名嶋」という地より少し離れたところに本籍地を置いている(戸籍より判明)。

もともと発祥の地である「名嶋」で暮らしていたが、その地に立花家がやってきて「名嶋」という地名を冠した名嶋城を建て城主になった。

元からその地に暮らしていた名嶋家にとっては愉快なことではなかったので少し離れたところで暮らすようになった可能性も考えられる。

または、立花家は後に名嶋城を離れている。立花とかかわりあるものがこの地に残り帰農し名嶋を名乗るようになった可能性も少ないが考えられる。

もし戸籍以上にさかのぼる調査を行うなら、本籍地に残る名嶋姓へのコンタクト、菩提寺・墓石探しはもちろんだが、城主であった立花家の記録も文献・文書で調査しなければばらない。

また名嶋という苗字はさかのぼれば藤原鎌足につながる可能性がある。

戸籍からさかのぼる調査と同時に、天皇家・藤原鎌足から福岡の名嶋家へ下ってくる調査も同時に行う。

その際に「名嶋」から発祥した名嶋家なのか、あるいは立花家とつながりある人物が名嶋を名乗ったのかによって藤原鎌足に乗り上がる道筋が変わってくる。


屯田兵名簿とのすり合わせによりご先祖様が屯田兵として北海道に渡ったこと。

 ※士別屯田は北海道最後の屯田兵

・士別の本籍地の記載より天皇から借りた地で農業を営んでいたと推測されること。

その他にも

・「名嶋」という名字は藤原鎌足につながる。

・ご先祖様がいらしたのは旭川から士別に鉄道が通った年であること。

・ご先祖様がいらしたの士別という町が出来た年であること。

・現在「ナジマ」と呼ばれているが元は「ナシマ」であったこと(北海道は濁音が入る)。

・福岡の本籍地でご先祖様を一にしている可能性のある方がいること。

・士別町史や士別の写真集を見るとご先祖様の暮らしぶりがもっと理解できるということ。

・古文書館で屯田兵の資料を調べる事もできること。

などなど、がお伝えできました。

※近いご先祖様の足取りを読み解く

戸籍から読み解けることは家系図作ることだけではありません。

戸籍を見ただけでは「明治○○年○月福岡より北海道士別へ転籍」とあるだけです。

「どうして福岡から北海道へやってきたのか?」

歴史を調べるとその年は北海道最後の屯田兵が入植した年でした。

屯田兵名簿を調べると確かにご先祖様の名が載っています。

また、士別という町ができ鉄道が開通した年でもあります。

福岡の山間地で(おそらく)農業を営んでいたご先祖様が、遠い北海道の拓けたばかり地で開拓へ勤しんでいた…ご先祖様の暮らしぶりへのイメージがわきます。

また、ご先祖様は亡くなる間際に福岡へ戻られています。

最後は故郷で過ごしたかったのでしょうか?

親しいご親族が福岡に残っていたことも読み取れます。

この後、屯田兵の記録についてさらに調べ、士別屯田兵の住宅地図や、開拓当時の士別の写真も確認できました。


札幌の家系図作成代行センター

全国対応で家系図作成業務を請け負っております。戸籍(戸籍謄本・除籍謄本)による家系図の作成、書道家が筆で書いて巻物や掛軸に表装するサービスも行っております。

札幌の渡辺宗貴行政書士事務所が運営する、家系図作成代行センター。戸籍を超えた家系図サービスを実施しております。